生前贈与から11年。良かれと思った「相続時精算課税」が招く予期せぬリスク
10年より前の贈与は、遺留分の計算には入りません。ただ、10年では切れないものが2つ残ります。遺産分割の「持ち戻し」と、相続時精算課税の「税」です。
「10年以上たったから、もう遺留分は関係ない」。この認識は、遺留分については正しいのです。ところが、10年では切れないものが2つ残ります。そこに気づかないまま相続を迎えると、思わぬところで火種になります。 今回は、11年前に相続時精算課税制度を使って二世帯住宅の土地を長男に贈与したご家庭を想定して、「10年で切れるもの」と「切れないもの」を分けて整理します。
この記事の内容
・事例の概要 遺留分の火種は、実はありません
・切れないもの① 遺産分割の持ち戻し
・切れないもの② 税 特例を失い、土地に2つの値段がつく
・まず確認すること 贈与契約書に「持ち戻し免除」はありますか
・今からできるリカバリー 4つの設計を数字で並べる
・この判断例の分かれ道
・まとめ
相続時精算課税の制度そのものを先に確かめたい方は、こちらをご覧ください。
相続時精算課税贈与の仕組みと注意点 ― 2024年改正後の「110万円」を軸に整理
事例の概要 遺留分の火種は、実はありません
次のような状況を想定します。
- 自宅の土地:11年前に長男へ贈与済み(贈与した当時の価額4,000万円、いまの時価6,000万円)
- 建物:もともと長男名義で、現在は同居中
- 父の手元の現預金:3,000万円
- 相続人:長男・長女の2人
まず、遺留分から確認します。相続人への贈与は、相続開始前10年以内のものが遺留分の計算に入ります(民法1044条3項)。11年前の贈与は、この枠の外です。 したがって、遺留分を計算する土台になるのは、現預金3,000万円だけ。長女の遺留分は、その4分の1で750万円です。現預金を長男・長女で1,500万円ずつ分ければ、長女の取り分は1,500万円。遺留分750万円を上回っていますから、侵害額は0円です。
- 11年前の土地6,000万円:計算に入らない
- 遺留分算定の基礎財産:3,000万円
- 長女の遺留分(2分の1×2分の1):750万円 遺留分の侵害額:0円
「10年たてば遺留分は関係ない」。この事例については、原則としてそのとおりです。
たしかに、贈与した側・受け取った側の双方が「ほかの相続人の遺留分を侵害することを知っていた(双方悪意)」場合には、10年を超えても計算に入ります。もっとも、この事例では贈与のあとにも3,000万円が残っており、贈与した当時、その贈与によって遺留分を害する状態にあったとは言いにくい状況です。判例にも、贈与から相続まで長い年月がたっていたケースなどで、こうした事情から双方悪意を否定したものがあります。加えて、これを立証するのは請求する長女の側です。こうした点をふまえると、この事例で計算に入る可能性は低いと考えられますが、贈与当時の状況やほかの相続人との関係によって結論は変わり得ます。決め打ちはせず、個別に確認しておくことが安全です。
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切れないもの① 遺産分割の持ち戻し
ここからが本題です。10年という区切りが入ったのは、遺留分の条文(民法1044条3項)だけでした。 遺産分割で特別受益を持ち戻す条文(民法903条1項)には、期間の制限がありません。平成30年の改正は、こちらには手を付けていないのです。ですから、11年前の土地の贈与は、そのまま持ち戻しの対象になります。 遺言がないまま遺産分割協議をすると、どうなるでしょうか。
- みなし相続財産(現預金3,000万円+土地6,000万円):9,000万円
- 各人の法定相続分(2分の1):4,500万円
- 長男の具体的相続分(4,500万円−6,000万円):マイナスなので0円(民法903条2項)
- 長男が受け取る額:0円
- 長女が受け取る額:現預金3,000万円のすべて
長男は、1円も受け取れません。もらいすぎた相続人は「超過特別受益者」として、具体的相続分がゼロになるからです。返せとまでは言われませんが、残った財産には手が届かない。これが、11年たっても残る本当の火種です。
「遺留分では関係ないと言われたのに、なぜ」と思われるかもしれません。遺留分と遺産分割は、別の制度だからです。同じ「特別受益」という言葉を使いながら、期間の扱いがまったく違います。 ここにも「10年」があります。ただし意味が違います。民法904条の3により、相続の開始から10年を経過した後にする遺産分割では、特別受益の持ち戻しが適用されません(令和5年4月1日施行)。「贈与から10年」ではなく「亡くなってから10年」です。数字が同じで意味が違う、いちばん紛らわしいところです。この事例で長男を救うものではありません。
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切れないもの② 税 特例を失い、土地に2つの値段がつく
相続時精算課税で贈与した財産は、期間の制限なく、必ず相続税の計算に加算されます(相続税法21条の15)。11年前でも、20年前でも、戻ります。ここは制度の名前のとおりで、驚くところではありません。 見落としやすいのは、贈与を選んだことで、相続であれば使えたはずの「小規模宅地等の特例」が使えなくなることです。数字にすると、こうなります。
- 贈与せず、相続で引き継いだ場合:特例で土地の評価は6,000万円から1,200万円に。相続税は0円
- 11年前に贈与した今:特例は使えず、贈与した当時の価額4,000万円で加算。相続税は約320万円
贈与しなければ、課税価格は現預金3,000万円+土地1,200万円=4,200万円。相続人2人の基礎控除4,200万円と同じ額ですから、相続税はかかりません。贈与したことで課税価格は3,000万円+4,000万円=7,000万円となり、約320万円の相続税が発生します。 小規模宅地等の特例は、特定居住用宅地等として330㎡までの部分が対象です。同居や保有継続などの要件があり、面積・要件によって結論が変わります。税額はいずれも概算です。 そしてもう一つ、同じ土地に2つの値段がつきます。
- 遺産分割の持ち戻し(民法904条):相続開始時の価額で見る。この事例では6,000万円
- 相続税の加算(相続税法21条の15):贈与時の価額で見る。この事例では4,000万円
相続時精算課税の狙いのひとつは、値上がりしそうな財産を、安いうちの価額で固定してしまうことです。この事例では、狙いどおり2,000万円の値上がり分を税から逃がせました。ところが、その同じ2,000万円が、遺産分割では長男に跳ね返ってきます。税で得をした分だけ、法で不利になる。この非対称が、相続時精算課税の見えにくいところです。
この事例は不動産を贈与したケースです。贈与されたのが金銭だった場合は、そもそも形が残っていないため、当時の金額を相続開始時の貨幣価値に引き直して考えることになります。昭和の1,000万円をいくらと見るのか、その前提はどこで割れるのか。何十年も前の贈与に特有の論点は、別の記事にまとめています。
何十年も前の生前贈与は、相続でどう扱われるのか|評価の基準時と、証拠の集め方
まず確認すること 贈与契約書に「持ち戻し免除」はありますか
ここで、11年前の贈与契約書を出してきてください。「この贈与は相続の際に持ち戻さないものとする」という一文があるかどうかで、結論が大きく変わります。
- 持ち戻し免除の記載がない場合(遺言なし):長男0円/長女3,000万円
- 持ち戻し免除の記載がある場合(遺言なし):長男1,500万円/長女1,500万円
一文の有無で、1,500万円動きます。持ち戻し免除は、遺産分割の計算上「この贈与はなかったことにする」という意思表示です(民法903条3項)。
「持ち戻し免除を書いても遺留分は消えない」という説明を、どこかでご覧になったかもしれません。それは正しいのですが、そのせいで「書いても無駄」と受け取られがちです。書く価値は、遺留分ではなく遺産分割の側にあります。この事例のように、遺留分ではもともと侵害が生じない場面では、免除の一文こそが決定打になります。 契約書に記載がない場合でも、諦める必要はありません。持ち戻し免除の意思表示は、遺言でもできます。次の章で扱います。
今からできるリカバリー 4つの設計を数字で並べる
11年前の贈与は取り消せません。しかし、今ある現預金3,000万円をどう渡すかは、これから決められます。選択肢を数字で並べてみます(贈与契約書に持ち戻し免除の記載がない前提です)。
- ① 何も書かない:長男0円/長女3,000万円。遺産分割で持ち戻しが起きる
- ② 遺言で持ち戻し免除だけ書く:長男1,500万円/長女1,500万円。現預金を法定相続分で分ける
- ③ 長女に2,500万円を相続させる:長男500万円/長女2,500万円。遺留分750万円を大きく上回る
- ④ 全部を長男に相続させる:長男2,250万円/長女750万円。長女は遺留分だけ請求できる
①と④で、長男の手取りは2,250万円ちがいます。財産の中身は何ひとつ変わっていません。変わったのは、遺言を書いたかどうかだけです。
仕組みは単純です。遺言で財産の行き先をすべて決めてしまえば、遺産分割協議そのものが起きません。協議が起きなければ、903条の持ち戻しも発動しない。長女に残るのは遺留分侵害額請求だけで、11年前の贈与はそこに入ってこない、というわけです。 遺言の本当の効き目は、「長女に払う額を確保すること」ではありません。「遺産分割を起こさせないこと」です。この事例では、遺留分の心配はもともとないのですから、遺言が防いでいるのは持ち戻しのほうです。ここを取り違えると、設計が逆を向きます。 では④が正解かというと、そうとも限りません。どれを選ぶかは、お父さまが何を望まれるか次第です。
- 「土地はもう長男に渡した。現預金は長女に厚く」とお考えなら:③。長女は請求する理由を失い、争いはまず起きません
- 「二人に半分ずつ」とお考えなら:②。土地の贈与は贈与、現預金は現預金、と切り分ける形です
- 「同居して支えてくれた長男に厚く」とお考えなら:④。ただし長女から750万円の請求は来得ますので、その資金の当てを長男に用意しておく必要があります
①だけは、選ぶ理由がありません。①は「選んだ」結果ではなく、「何もしなかった」結果です。何も書かないことが、長男の取り分をゼロにするという結論を選んでいる。そのことに、ご家族が気づいていないだけです。
どの設計を採るにしても、持ち戻し免除の一文は入れておくことをおすすめします。②③④のいずれも、遺言で行き先が決まっている限り持ち戻しは発動しませんが、書き漏らしや財産の変動で協議に戻る可能性がゼロではないためです。保険としての一文と考えてください。 遺言の文言の例(③の場合のイメージ)は、次のようなものです。「長女に現金2,500万円を相続させる。長男にその他一切の財産を相続させる。なお、11年前に長男に贈与した土地については、その持ち戻しを免除する。」これに付言事項として、なぜ土地を長男に渡したのか、なぜ現金を長女に厚くするのか、そのお気持ちを添えます。 ポイントは、数字(不足が出ない設計)と親の想い(付言事項)をセットにすることです。「誰が得した・損した」という感情に入る前に筋道を作っておくと、話し合いが崩れにくくなります。 なお、相続時精算課税は「避けるべき制度」という意味ではありません。「相続でもめたくない・早めに形を固めたい」という事情から、総合的に判断してあえて選ぶ場面もあります。その場合は、法(遺留分・公平)と税(特例・将来の負担)のリスクを並べて、ご家庭の状況に合わせて決めることになります。 「土地は親名義のまま、建物だけが子名義」という、この事例とは別の形をとっている場合は、土地を長年無償で使ってきた利益が特別受益にあたるかという、また別の論点になります。
土地の無償使用は「特別受益」か?判例に基づく評価額と持ち戻しの判断基準
この判断例の分かれ道
下の図は、この例の分かれ道を1枚にしたものです。状況、分かれ目、2つの道、決め手の順に並べています。
- 状況:11年前、相続時精算課税で土地(当時4,000万円・いま6,000万円)を長男へ。父の手元には現預金3,000万円
- 分かれ目:現預金の行き先を、遺言で決めておくか 書かない場合:遺産分割で11年前の贈与が持ち戻され、長男0円・長女3,000万円
- 書く場合:遺産分割が起きないので、持ち戻しも起きない。長女が請求できるのは遺留分750万円まで。この例の答えは、こちらです
本当に詰まるのは、その手前です。贈与契約書に持ち戻し免除の一文があるかどうかを、誰も確かめていない。そして、お父さまが「二人に何を残したいか」を、まだ決めていない。分かれ目は、現預金3,000万円を、長女に厚くするのか、半分ずつなのか、同居の長男に厚くするのか。数字は同じでも、選ぶ道はご家族ごとに違います。 ほかのご家族がどう決めたか、そして自分たちは何を決める必要があるかは、次の2つのページに整理しています。
まとめ
10年で切れるのは、遺留分の計算だけです。遺産分割の持ち戻しと、相続時精算課税の加算は、11年たっても残ります。 確かめる順番は、まず贈与契約書に持ち戻し免除の一文があるか。次に、今ある現預金をどう渡すかを、遺言で決めておくか。この2つで、長男の手取りは0円から2,250万円まで動きます。 相続時精算課税を使った贈与がある方は、贈与した年ではなく「亡くなった後にどう扱われるか」の側から、一度確かめておくと安心です。初回のご相談は無料です。
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